『IoMモデル』

1959年6月に開催されるTTレース初参戦前にホンダは125ccクラスレーサーRC141(142)のほか四台のCB92をコース下見の練習車として4月早々に船便でマン島あて発送をします。

市場導入されたばかりの同車は翌月現地に着くなり早速組み立てられますがすぐに多くのバイクマニアの好奇の目に曝されます。そして当時の著名な二輪評論家であったデイビッド・ディクソン、ジョン・グリフィス等に試乗車として提供され時の二輪誌に彼らの手による鮮烈な試乗記が発表されます。これが同車の海外初披露といえましょう。練習車であり報道発表用の試乗車でもあったわけですがそれのみならずダグラスの町への買い物用の足、チームの連絡車でもありました。街中の駐輪場で当時のマニアに撮影されたこの車体の貴重な近接画像が後年のVJMC出版物に掲載されています。

これらが125ccのCB92でなく『150ccのCB95試作車だった。』との説もありますがそのシリンダーヘッドの形状と上出の試乗記事、英国の友人の所見などから管理人は『ベンリイSS125』と確証を持っています。

さてこの車体と前回のプロトモデルの細部を比較します。通常市販車と同じ左右一体ニーラバーが装着され前後マッドガードを装備するなど見慣れた形態に近づきますが数箇所プロトモデルを引き継いだままの箇所があります。

Fサスブラケット周辺に補強の付いたシート、I先端の幾分鋭いシームレスマフラー、J前傾(スラント)マウントキャブレターです。

H型前後アルミリム@は持ち込み理由からして当然かもしれません。同じくその性格目的からセルモーターは外され開口部にはレーシングオプションのカバーがされています。スタートボタンは右ハンドルグリップに残ったままで『押すとクリック音がした。』との英誌の記述からマグネットスイッチも取り外されなかったようです。
 

現地で対策されたものか日本出荷時から用意されていたかチェンライン側シリンダ左に冷却用導風板が装備されています。現地のナンバーを付け、ウインドシールドの内面に通関書類(?)を貼り付け、そしてビビリ防止のガムテープをランプケース下部に貼った姿はその車両の目的を明確にあらわしており「是非実車を見たいものだ。」と我々マニアに思わせるものがあります。チーム撤収時、その役目を終えたCBはRCレーサーともども一時持ち込み品であるが故すべて残さず日本向けに返送されたはずです。しかし浜松でなく5台のRC142レーサーと埼玉製作所に戻されたのではないかと思われるこれら最初期CBもその後の一切の情報がありません。浜松製作所に転送されたかもしれません。忽然と姿を消したのではなく役目を終えた旧式レーサーと練習車は新レーサーや量産車へのフィードバックをを取られたあげく顧みられることもなくやがて処分されたでしょう。ホンダもそして世の中もそういう時代だったのです。
イギリスのマニア達は幾分の畏敬もこめてこの特徴のある初期型をIoM(Isle of Man=マン島)モデルと特別な呼び方で表現をします。

2004.06.26 K生

2005.06.02 一部加筆訂正
2010.1.02 追加訂正加筆
2020.9.26 画像差替


次回は「プリプロダクションモデル


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